東京理科大学のルーツを求めて……【東京物理学校 夜明け前①】

東京理科大学の理念である「自然・人間・社会とこれらの調和的発展のための科学と技術の創造」はどこで生まれてきたのでしょうか?このルーツを求め時代背景など交えながら数回に分けて、本学の草創期を連載する。

文部省設置と東京大学の開校

明治政府は外国との交流を禁じていた江戸時代の鎖国政策をやめて、外国からの文化の移入を積極的に始めた。

西洋医学はオランダからドイツ医学を導入し、科学・芸術はフランスから導入し、陸軍もフランス式を採用した。このため、専門分野に応じてその国の言語を学ぶ必要があった。政府はそれぞれの分野で最先端の学問や技術を導入したと推測される。政府になって間もない明治3年(1870年)、欧米に追いつくために、欧米から多数の外国人教師「お雇い外国人」を招き、青少年に外国の学問を学ばせることにした。「大学南校」(のちの開成学校)を設置し西洋教育に力を注いだ。この学校には各藩から石高により1~3名の学問や品行に優秀な子弟を藩の費用負担で進学させることを命じた。(この子弟を貢進生と呼ぶ。)当時は言語学校などはなく、各専門分野の国籍に応じて、言語の習得から始めた。この貢進生を徹底して翻訳者として鍛えた。

政府は明治5年(1872年8月3日)に布達の中で「邑(むら)に不学の戸なく家に不学の人ならしめん事」で有名な文部省を設置し学制改革を実施した。フランスを手本としオランダ・ドイツ・アメリカの折衷した学制を採用した。学校制度の体系として「小学校、中学校、大学校」の3段階を基本とする事が定められた。大学校では教授言語もそれぞれの専門分野の指導言語を使用していた。

明治6年に開成学校(専門学校)を設置し、教授言語は原則として英語に統一した。「語学課程」(普通科)に、「専門学課程」(専門科)で法学・化学・工学・鉱山学・諸芸学(算術・代数・幾何・天文初歩・気象観測・測量実習)の五科を新設した。しかし、鉱山学はドイツ語、諸芸学はフランス語での授業であったため廃止することになったが、理学の重要性から新たにフランス語物理学科を設けた。同年には語学課程が分離独立し東京外国語大学と東京外語学校となる。明治7年に残りの専門課程は開成学校から東京開成学校に改称され、修業年限3年ないし4年の「本科」に再編した。

明治10年に東京開成学校は医学専門学校や東京外語学校や蕃書調所(後の洋書調所《今日でいう図書館に相当するものと思われる》に改称される)と併合し今日の東京大学となる。

このフランス語物理学科の卒業生が東京物理学校の出発点となっていくのである。

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